世界切手国めぐり
リヒテンシュタイン

●…国連加盟を果たして スイスとオーストリアに挟まれたリヒテンシュタインは、面積157平方`b、三浦半島ほどもないアルプスの小国です。人口も3万人に過ぎません。しかし、1990年には国連に加盟し、翌年には、北欧諸国とオーストリア、スイスなどでつくるヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)に参加するなど、このところ次第に国際社会への仲間入りが進められています。国連加盟を果たしたときには、記念切手も発行しています。'96年には、日本との国交を樹立しましたが、フィラテリストのほかには、この国を知る日本人は少ないでしょう。 ●…オーストリアからスイスへ リヒテンシュタイン家は、かつて神聖ローマ帝国の重臣でした。1719年に、現在首都のあるファドゥーツと、隣接するシュレンブルクを併せた領地を当時の皇帝カール6世から賜わったときに、この国ははじまります。しかし、独立国として、周辺諸国から認められたのは1866年のこと。すでに神聖ローマ帝国は、半世紀以上も前に滅んでおり、その後は新興のオーストリア帝国と関税同盟を結ぶなど、実際的にはその勢力下にありました。 この国の存亡にもかかわる危機は第一次世界大戦とともに訪れます。事実上の宗主国ともいえるハプスブルク家のオーストリアが、ドイツとともに敗れ、そのうえ民族的に複雑だったこの帝国が、遂に解体したためでした。 オーストリアは、ドイツ系住民の居住地域を中心に、人口数百万の小さな共和国として再出発しますが、リヒテンシュタインは、混乱するオーストリアから離れ、ライン川の彼方とのスイスとの結びつきを強めることになります。通貨もスイス・フランに切り替え、郵政事業もスイスの管理下に移すことになりました。 この頃、スイスのジュネーブを本部とする国際連盟が結成され、リヒテンシュタインも加盟を申請しましたが、残念ながら“小に過ぐ”として認められなかったいきさつがあります。 ●…観光で生きる スイスで印刷される美しいグラビアや、オーストリア製の精巧な凹版印刷など、リヒテンシュタインの切手はフィラテリストに大変人気があります。そのため、この国の貴重な財源の一部となってきましたが、現在では、やはりアルプスの山々を控えた観光事業が重視されるようになりました。登山基地ばかりでなく、ハングライダーのスポットとしても、ファンにはよく知られています。 そのほか、入れ歯や歯科用機器の製造も行われ、国際的にも高い評価を得るなど、“工業国”でもあるのです。そのため小さな山国ではありますが、人々は高い生活水準をエンジョイしています。 ●…切手の変遷 この国の一番切手の発行は1912年。オーストリア郵政によるもので、そのデザインは、当時のオーストリア切手に大変よく似ています。いずれも紋章やヨハン二世侯の肖像が描かれていました。 第一次大戦直後の混乱期には、一時この国独自の郵政が生れ、切手の発行も行っています。しかし、1921年には、スイス郵政による管理となり、図案も多様化してきました。とくに、この山国の美しい風景や文化財などとともに、人々の伝統的な生活様式を描いたものが目につくようになりました。 リヒテンシュタイン家の誇るものに、素晴らしい美術品のコレクションがあります。これまで切手でもたびたび紹介されてきましたが、とくに1949年に発行されたダ・ヴィンチやルーベンスの作品によるセットは、絵画切手のファンにとっては垂涎のアイテムでしょう。 1970年代からは、グラビアと凹版をかけ合わせた手法が取り入れられ、美術品やロイヤルファミリーを描いた切手はいっそう上品で美しいものになり、ファンを魅了しています。発行政策も至って健全といえるでしょう。 |
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リヒテンシュタインの自然現象 | ||||
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