世界切手国めぐり

チェコ共和国

モルドウ川の流れとともに チェコ共和国
●…モルドウ川の流れ

 あのスメタナの名曲「わが祖国」に含まれる「モルドウ川」は、まさにその美しい調べにのって、ドイツ国境の「ボヘミアの森」から流れだし、次第に川幅を広げながら村人たちの楽しい集いや古城を映して、ゆっくり北に向って流れていきます。首都プラハの街を貫流する頃には、もう堂々たる大河となり、やがて国境を越えるとエルベ川となって北海へ注ぐことになります。

 このモルドウ川の支流の一つは、ビールで有名なピルゼンの町を流れています。ところでお手許の地図をいくら捜しても、モルドウ川やピルゼンの町は見付からないでしょう。それもそのはず、モルドウ川は今ではモルダバ川に、ピルゼンはプルゼニに名前が変わっているからです。

 スメタナがあの組曲をつくった頃、チェコはハプスブルグ家のオーストリア帝国の一部でした。スメタナの「祖国」とは、もちろん民族の独立を願うチェコの人たちが住むボヘミアです。しかし、当時、帝国の公用語はドイツ語でした。モルドウもピルゼンも、実はドイツ語。今ではチェコ語の地名に改められているのです。


●…スロバキアと別れて

 チェコスロバキアの東半のスロバキアの分離独立によって、残されたボヘミアとモラビアが、チェコ共和国となったのは1993年。ソ連やユーゴスラビアなどが解体した東欧のナショナリズムの高まりの中でのできごとでした。

  チェコスロバキアが独立したのは第一次世界大戦後、オーストリア帝国が解体した1918年。当時、理想的な民主国家として賞賛されたものでした。帝国時代の工業地帯を引き継いだこともあって、小国ながら経済的には安定し、国際的にも注目されるようになります。

 しかし、1930年代に入ると、隣国のドイツでナチスが台頭しはじめ、やがてヒトラーの政権が誕生します。ヒトラーは、チェコ北部のズデーテン地方に、ドイツ人が多く居住していることを理由に、自治を要求し、結局、38年にはナチス・ドイツに併合してしまいました。それどころか、チェコそのものを併合し、スロバキアはドイツの保護国として独立させ、チェコスロバキアは解体されたのでした。ドイツは早速、併合したこの地域の切手を発行し、スロバキアでも独自の切手をみることになります。

 第二次世界大戦後、チェコスロバキアは復活しますが、1948年には共産党のクーデターによって、ソ連圏に組み込まれてしまいます。経済発展はおくれ、とくにスロバキアは、いつまでも後進地域として取り残されたため、次第に不満がうっ積していきました。

 共産主義の軛がはずれると、スロバキアでは、言語などがチェコと若干異なることもあって、ナショナリズムが一気に高まり、ついに独立への道を歩みます。そのため、チェコは独自の共和国を形成することになりました。


●…あこがれの西欧へ再び

 チェコの人々は、もともとスラブ系ではありますが、これまでいつも西欧へのあこがれを抱きながら暮らしてきました。ながくオーストリア帝国の支配下にあったためか、チェコ語の表記もローマ文字ですし、スラブ系の人達が信仰するギリシャ正教の信仰もここでは稀で、カトリックが普通です。

 しかし、第二次大戦後ソ連圏に組み込まれると、もはや言論活動はもとより、経済もソ連圏の中に閉じ込められ、その発展ものぞめませんでした。そのため、1968年には、民主的な改革運動が起ります。いわゆる「プラハの春」です。改革は多くの国民の支持を得て、成功するかにみえました。

 この民主的な改革をにがにがしく思っていたソ連は、ワルシャワ条約軍の多数の戦車を差し向け、その改革を押しつぶし、指導者を逮捕したのでした。
 ベルリンの壁が崩され、ソ連が崩壊した現在、チェコもスロバキアも、もはや両国は誰はばかることなく、西ヨーロッパ諸国との結びつきを強化しています。「ヨーロッパ切手」の発行も、数年前からはじまりました。EUへの参加も、そして遂に2004年には、念願のEU加盟が実現しました。
 


●…切手の特色

 スロバキアが分離し、1993年にチェコが独自の共和国となると、ただちに《CESKA REPUBLIKA》の新国名の入った切手が発行されました。

 チェコスロバキア時代と同様、切手はやや粗い独特の多色刷凹版のものが多く、また、プラハ国立美術館の収蔵品を紹介した、それ自身美術品ともいえる美しい凹版印刷の大型切手も引き続き発行されています。郵趣的に興味深い「切手の日」や、1990年からはじまったクリスマス切手など、チェコスロバキア時代からのシリーズも、新国家に引き継がれました。

 『スコット・カタログ』では、チェコ共和国をチェコスロバキアの継承国家として扱っていますので、地理や歴史を調べながら、1918年の有名な「プラハ城」の切手から収集をはじめると、歴史に翻弄されたこの国の切手を通じて、きっと、ヨーロッパの近・現代史が急に身近なものとして、みえてくることでしょう。


■ズデーテン地方の切手

 ヒトラーの野望は、どうやら第一次世界大戦後のヨーロッパで、中心的なキーワードとなった「民族自決主義」の悪用からはじまった。各々の民族は、その運命を自ら切り拓くべきであるとするこの考えを、まず、ボヘミア盆地を取り巻くズデーテン地方に適用した。現在、チェコ語でスデーティと呼ばれるこの山地には、当時、かなりのドイツ人が居住していたが、彼等はヒトラーの扇動にのって、チェコスロバキア切手に種々の加刷を行った。

 これらは『スコット・カタログ』にはみられないが、『ミッヘル・カタログ』には、かなり詳しく記録されている。それによれば、《Kar-lsbad》や《Sudetenland》などの地名のほか、「われらは自由だ!」を意味する《Wir sind frei!》を加刷したものが最も多い。一般にはかなり高価なうえ、日本では入手しにくいが、その一枚をアルバムに収めるとき、まさにヨーロッパ現代史の一角をとらえたようなときめきを感じたのは、はたして筆者だけであろうか。

チェコ共和国 地図  チェコ共和国 Czech Republic
 面積:7万8864ku
 首都:プラハ(121万)
 人口:1032万人(96年)
 住民:西スラブ族のチェコ人(ボヘミア人)81.2%、モラビア人13.2%、スロバキア人3.1%。
 言語:公用語はチェコ語。
 宗教:カトリック43%、無宗教30%。
 資源:褐炭、無煙炭。
 通貨:チェコ・コルナ

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