世界切手国めぐり
リベリア
●…慈善か偽善か 西アフリカのギニア湾の入口にある面積11万平方`b余、韓国よりひとまわり大きい黒人国家がリベリア。アメリカ風に発音するので本国では《ライベリア》となります。そう言えば国旗も何となく星条旗を簡略化したように見えますし、通貨単位もドルとセントです。 この《自由の国》リベリアの誕生は1847年のこと。アメリカの第5代大統領J.モンローの時代に、アメリカ政府の密かな肝煎で建国されたもので、アフリカではエチオピアに次ぐ歴史があります。 米国では19世紀になると、黒人奴隷をめぐる問題が次第に重く社会にのしかかってきます。南部の綿作を中心とする農業社会では、不可欠なものと考えられていましたが、北部では必ずしもその必要がなく、奴隷解放論が急速に台頭してきました。これは、やがてご承知のように、南北戦争の一因になりますが、北部の解放論者とて、共存を前提とする1960年代の公民権運動家とは考え方が大きく違っていました。 彼らの多くは、解放された黒人奴隷たちと一緒になって、新しい合衆国をつくろうなどとは、さらさら考えていなかったのです。解放奴隷たちを、彼らの“ふるさと”のアフリカへ送り返そうと言うのが、当時の解放論者たちの善意の限界でした。 こうした目的で設立された《アメリカ植民協会》は、19世紀初めになるとすでに行動を起こし、当時《胡椒海岸》と呼ばれていた西アフリカに解放奴隷を植民させましたが、これこそリベリアの母体となるものでした。モンロー大統領もこの事業を積極的に推進したので、この新しい国の首都名も、彼の名にちなんでモンロビアと命名されました。19世紀のアメリカは、少し見方を変えれば、国家ぐるみで黒人の追出しを図っていたと言えそうです。 ●…幻の“リベリア船団” ふと訪れたどこかの港で、リベリアの国旗を高々と掲げた大型の船を目にすることがあります。世界の船舶統計などをみると、確かにリベリアは世界有数の船舶保有国。しかし、これは統計上の話で、恐らくこれらの船のほとんどが、一度も“祖国”リベリアの港に入ったことはないはずです。 これらは《便宜置籍船》などと呼ばれ、本来の船主の国籍とは無関係に、リベリア政府が税金を大幅に安くして船籍だけを与えるもの。余りフェアな“商売”とはいえません。無国籍の船は、公海上では海賊船とみなされ、拿捕されたり、撃沈されても文句は言えないために、船主は自国の高い税金を逃れて、こうした国の軒を借りるのです。 一時はリベリアの“独占企業”であったこうした“商売”も、今ではパナマやキプロスなど、有力なライバルが出現し、以前ほどの利益はないようです。 この国の経済を支えるもうひとつの柱に鉄鉱石の輸出があります。しかし、かつてほとんどリベリアの国家経済を左右するほど大きな力を持っていた世界的なタイヤ会社、ファイアーストンの広大なゴムのプランテーションは、合成ゴムによる圧迫や政情不安などのために、もはや往時の力はありません。 ●…黒人による黒人の支配の克服へ アメリカの解放奴隷たちがこの地へ移民した頃、この地域にはもちろん多くの黒人が住んでいました。たびたびの奴隷狩によって、人口はかなり減少していたと言われますが、入植者よりも圧倒的に多かったことは事実です。 アメリカで曲がりなりにも現代文明に触れてきた入植者たちは、たちまちこの地に古くから住む黒人たちの支配者として君臨することになります。国家の要職は、いずれも解放奴隷によって占められました。彼らは一般に“アメリコ・ライベリアン”と呼ばれ、現在の国民約300万の1割にも達していない少数派です。 民族運動の高まりの中で、先住の黒人たちの間に次第に不満がつのり、ついに1980年には、先住民出身のドエ軍曹がクーデターを起こし、自ら大統領となって、アメリコ・ライベリアンの支配体制をくつがえします。切手にもドエ大統領はたびたび登場することになります。 しかし、間もなく先住民族の間で対立が生じ、さらにアメリコ・ライベリアンの巻き返しもあって、以後20年近く、この国では内戦と政情の不安が続いています。 ●…切手の変遷 リベリアの一番切手は1860年。日本より10年以上も早い発行は、いささか驚きです。 リベリア切手はごく初期の頃から図案が多様で、象やカバなどを描いた動物切手が発行されていました。比較的安価で容易に入手できるために、ジュニアの動物切手ファンも、きっとアルバムに何枚か収めていることでしょう。 こうした中で、’42年にアメリカン・バンクノート社が製造した凹版の動物切手は、構図的にも見事なもの。まさに“名切手”といえそうです。 1960年代になると、平版印刷のものが中心となり、テーマもさらに多様化しますが、70年代にはエリザベス女王まで登場するなど、この国と直接かかわりの無いテーマも見られるようになります。 ’80年以後はドエ軍曹の切手が数多く出ます。やがて、’87年には憲法が改正され、「第二共和国」の誕生が切手で祝われますが、内戦が続くなど、その名のごとく自由で民主的な新しい国づくりは、容易ではありません。 |
||||
|
||||
■《ブラック・ヘリティジ》の切手 《アメリカ植民協会》の手で、リベリアへ移住した黒人の子孫は、現在20数万であるが、米国にそのまま踏み止どまった黒人たちは圧倒的に多く、アメリコ・ライベリアンの100倍以上に達している。 解放後も黒人たちはさまざまな社会的差別に苦しむが、とくに南部の諸州では、学校や教会さえ白人と区別される場合が多かった。 60年代の黒人たちによる公民権運動以来、米国では次第に黒人の権利回復が進み、社会的地位も全体として著しく向上してきた。 このことは、米国の切手の世界にもよく反映されている。すなわち、一九七八年以来、《Black heritage》として、各方面ですぐれた業績を残した黒人を顕彰する切手が次々と発行されるようになり、 まさに隔世の感がある。これらの中には野球界で活躍したジャッキー・ロビンソン、黒人運動の指導者でノーベル平和賞を受賞したキング牧師、さらには公民権運動の指導者として活躍し、これも悲運な最後を遂げたマルコム×など、世界的に著名な人物も含まれているが、むしろ日本では余りなじみの少ない人たちが多い。 それにしても、このような動きを見ると、米国社会における人種問題の深刻さに改めて気付くとともに、その解決への取組みの真剣さが伝わってくる思いがする。 |
||||
|
||||
第44代アメリカ大統領オバマ 9面シートと 第44代アメリカ大統領オバマ 小型シート | ||||
(左)11月4日のアメリカ大統領選で、共和党候補のマケイン氏をおさえ、民主党候補のオバマ氏が当選し、アメリカ史上初の黒人大統領が誕生することとなった。当選翌日にアメリカから解放された黒人奴隷の建国の地、リベリアがいち早く記念切手を発行した。
オバマ氏の顔写真を描いた切手9枚を収める。 シートサイズ:ヨコ130×タテ190ミリ。 (右)オバマ氏と副大統領候補のバイデン氏の顔写真を描いた切手を1枚ずつ収める。 シートサイズ:ヨコ133×タテ94ミリ。 |
||||
商品の在庫によっては、検索結果がでないことがあります | ||||
この記事が掲載されている本はこちらです |