世界切手国めぐり
サントメプリンシペ

●…ギニア湾奥の小島 西アフリカのギニア湾奥に浮かぶサントメ島と、その北東150kmほどのプリンシペ島が1975年にポルトガルから独立したサントメ・プリンシペ。ともに火山性の小島で、合わせて960kuほど。丁度、鹿児島県の種子島と屋久島を併せたほどの広さです。近世はじめからポルトガルの領土で、かつてはインド航路の中継地としてにぎわいました。第二次大戦後、独立運動が起こりますが、独立は容易に認められず、ようやく1974年のポルトガルの民主化運動《リスボンの春》により、独立に向かうことになります。 ●…カカオの実る島 ほとんど赤道直下にあるこの国は、高温多湿ですが、カカオ栽培には適しており、古くから白人の経営する大規模なプランテーションで栽培されてきました。カカオはアオギリ科の植物で、ガーナやカメルーンなど、ギニア湾岸で広く栽培され、その種子はチョコレートやココアの原料になります。カカオは今もこの国の主要な輸出品の一つです。 プランテーションが拓かれた頃の労働力は、かつてのポルトガルの植民地ギニアやアンゴラなどからの奴隷でした。そのため、14万ほどの現在の国民の大部分はこれらの奴隷達の子孫で、バンツー系の黒人です。 ●…切手の変遷 サントメ・プリンシペの一番切手は1869年。王冠を描いた植民地共通の切手に地域名の入ったものです。当時ポルトガルは王制でした。1910年に革命が起こり、共和制となりますが、以後しばらくの間、王制時代の切手に《共和国、REPUBLICA》と加刷したものが、ケレスを描いた切手とともに幅を利かせることになります。ケレスはローマ神話の豊饒の女神です。この傾向はポルトガル本国をはじめ、いずれの植民地でも同様でした。 第二次大戦後は次第に多彩な切手の発行がみられるようになりますが、その端緒は1948年のカカオをはじめ熱帯の果物を描いたシリーズでした。1950年代に入ると、世界一美しいといわれたポルトガル自慢の平版印刷で、いくつかのシリーズものが発行されます。これらの多くは各植民地共通テーマのオムニバス形式によるものでした。 1975年の独立後は、切手の発行が急に積極的と言うより、乱調子になります。この国とはほとんど無関係なテーマによって、派手な切手が次々と発行されますが、スコット・カタログなどでは、使用済の評価のないものが大部分を占めるようになりました。しかも、こうした切手の一部は政府の発行したものではないとの注意書もみられます。しかし、それらの詳しいいきさつはわかりません。 なお、スコット・カタログでは、国名は英訳され、《ST.THOMAS AND PRINCE ISLANDS》として載録されています。 |
||||
|
||||
■大航海時代のギニア湾 サントメ・プリンシペのようなポルトガルの小さな植民地が、ギニア湾の隅にぽつんとあるのをいぶかる向きも少なくあるまい。これはギニア湾が大航海時代の初期にポルトガルにとっては、 いわば宝の海であった頃の名残りである。コロンブスによる新大陸発見前後のことであった。 ギニア湾岸には、穀物、象牙、金、はては奴隷と、さまざまな当時の国際商品名≠フついた地名が残っている。これらは時代的な盛衰はあったとしても、ポルトガルなどの大航海時代の商人達がそれらの商品取引に関与していたことを示している。さらに、《ポルトノボ》や《ラゴス》など、ポルトガル語起源の地名が海岸付近にみられるのも、当時のポルトガル商人の活躍を物語るものである。因みに、その後、ポルトガル最大の植民地となったブラジルを発見したカブラルも、このギニア湾貿易の際、偶然、彼の地に漂着したのだと言われている。 |
||||
|
||||
![]() |
||||
台湾との友好/果物 5種シート×2 | ||||
2006年発行。果物を描く5種とタブ4枚を収めるシート2種。 I…アボカド、パラミツ、 Sap-Sap、アノナ属、マンゴー。 II…グアバ、スターフルーツ、インドナツメ、ジャワフトモモ、パパイア。 いずれにも両国国旗と握手のマークを配したタブ。 |
||||
![]() |
||||
商品の在庫によっては、検索結果がでないことがあります | ||||
この記事が掲載されている本はこちらです |